山内理論 その3

モノには出来ない新陳代謝の機能

 唯物的医学のいちばんの欠点は、どこまでいっても「モノ=モノ」という考え方であるということです。

 生命は、単なるモノ(物)とは違い、自ら新陳代謝をおこない、生を営みます。

 食事のとりかたを誤ると、それまでに均衡を保っていた新陳代謝も狂ってきます。

 新陳代謝が完全に、またスムーズにおこなわれますと、その生命体は与えられた寿命ギリギリまでフルに活動することができ、またその間、まったく病気ということを知りません。

 どの生物も生きている間は、基本的に自分で自分自身の部品をつくって、古くなった部分は外して、その分、新しい部分を再生するという最低限の機能を有しています。

 それが新陳代謝ということであり、自動車やほかの機械類には出来ないことなのです。 自動車は自分のタイヤを自分でつくりかえられないために、いずれはダメになります。

人間は、そのような機械類に取り囲まれて暮らしているために、ややもすると、自らの身体もまた機械類と同じようなものという錯覚をしてしまいがちなのです。

 ここらへんから、生命に対する認識のズレが生じてきているのです。

 自動車のボディが傷んでしまったとき、それを修繕するためには、[物=物]ということで鉄材が必要になります。 これは当たり前のことです。

 しかしながら、これと同じ考え方が私たちの身体にも当てはまるのでしょうか。

 「肉体が再生、成長、発展するために細胞が必要とするものには、これこれのものがいる、だから食事として外から脂質を与える、カルシウムを与える、必須アミノ酸が必要・・・」 などといった調子で、栄養論がたくさんのことを述べます。

 食事からとる様々な栄養は、ちょうど機械の部品を形造る原料にあたるために必要だとする考えです。

 結局は、とても複雑で難解な栄養学を体系立ててしまったのです。